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豊﨑由美+ミルキィ・イソベ トークショー

Parabolica-bis AutumnEvents
豊﨑由美+ミルキィ・イソベ トークショー
「触覚思考―紙と本の素敵な関係」
司会:今野裕一 
■2008年11月7日[金]19時開演

夕刻、自転車で柳橋へ。〜芝浦〜築地〜浜町〜明治座〜柳橋。まったく坂がない10kmのほど良いポタリングで春以来の柳橋Parabolica-bisに到着。

今回は、本を評価する豊崎由美 さん、本をデザインするミルキィさん、本を編集する今野さんによる対談イベントで、話が噛み合っているような、いないような、でも本の話が楽しくないはずもなく、個々にパラレルに語られた内容について妄想を膨らませながら時を過ごすことができた。

・小学2年生の頃、少年サンデーを毎週本屋に買いに行き始めてから現在まで、途切れることなく本に親しんでいる。でも、これまで読んだり、見たり、触ったりしたものは、膨大な本の世界から見るとほんの僅かである。

・本が好きになると、どうしても読みたい本、必要な本以外にも手が伸びていくわけで、そうなると 読みたい本を探すというより、どうやって、いらない駄本(自分にとっての)を切り捨て、外れなく楽しみたいということになる。というかそうなった。

・書評より先にレコード評に親しんだ。当時は本よりレコードの方が高価なものだったということもあるが、時は1970年前後、音楽は旬の時だった。レコード評が載った雑誌を購読しはじめて、評論というものを知った。(ニューミュージックマガジンとか)

・高校生の頃、雨の日以外は自転車で学校に通っていた。下校時にいくつかの町をめぐると何店舗か立ち寄れる古書店があったので、毎日一冊、小遣いでも購入できる安い本を購入することに決めていたことがあった。欲しい本がなくとも無理矢理買うわけだ。今でも、本屋に行って本を買わないと罪悪感があるのは、この時ついた癖かもしれない。

・蔵書には嫌いな本は置いていないし、本を購入するときは、これまでの経験を活かした駄本排除フィルターが完璧にかかっている。

・ネットは屑情報が多いといわれている、振り返ってみれば本の世界も99%屑である。その屑によって出版産業は支えられている訳だ。捨てられれば紙くずになる。新聞は翌日ただの新聞紙となる。

・当たり前のことだが、本を読みはじめた初期は、かなり多数の駄本をつかまされた記憶が残っている。豊崎さんの話を聞いていると、それはそれで楽しいことだったんだと思えた。

・新刊本のブックデザインに興奮を憶えなくなってから、どのぐらい時が経っただろうか。いまだ、すばらしいデザインの古書には出会うのだが。デジタルな本、いわゆるDTPでつくられた本とは何か。

・デジタル技術が実現する世界に対する無知は許せない...まぁこれは職業柄とか趣味の話かもかもしれないわけだが。

・単に無知から来る反論は、私にとっては無駄である。

・欧米では80年代半ば、日本では90年代以降にブックデザインに大きな変革があった。DTPの登場である。それまでのデザイン作業は、まったく違うプロセスで編集、デザインされることとなった。ポストスクリプトという新たな言語によって、グラフィックデザインのすべてのプロセスが再構成されることになったわけだ。

・中身の話だが、豊崎さんも言っていたように、小説のレベルが落ちたわけでは無い。これはすべてのコンテンツに当てはまる。

・本の記憶には、大きさ、重さ、色味、手触り、臭いなどいろいろ有る。その記憶にデザインが意識的に関われることが意外と少ない。それはデジタル化したことで、さらに遠くなったのだろうか。

・とはいえ、デジタル化したことで、なにか本の力が失われてしまったようかことを言う馬鹿がいる。これは困ったことだ。たぶん、本気で本の世界を考えていない奴らだろう。

・30年ほど前、本作りとデジタル/コンピュータが未だ無縁だった頃、写植から印刷、製本まで一通りやって見たことがある。DTPというからには、やはり印刷、製本まですべてを完結してみたらどうだろうか。

・技術的な問題もあるが、構造を理解していないということもある。まだ、標準化するのは早いし、限界点は遙か彼方だ。未だ新しいデジタル技術が切り拓いた本を見たことは無い。

・25年ほど前、未だ活字が生きていた。それ以降、活字〜写植〜電算写植〜DTPと短い時間で変遷したきた。

・ところで、それぞれの時代でデザイナーか欲しかったものは何だったのか?忘れちゃったかも。

・結局、デジタル技術を構想できる、最大限活かせるデザイナーは本から去ったのか、本の世界にやって来ないのか?本好きとしては空しいわけだ。

つづく

book , event | 2008/11/08