人間臨終図鑑
今夕、多めの夕食を完食してしまい、満腹の態でテレビを付けると森光子が出演していた。 インタビュー番組で、今もやっている「放浪記」の話が続いていたのだが、なぜだか、そういえば林芙美子は満腹で死んだんじゃなかったかと記憶回路が接続して、本箱の奥にしまい込んでいた山田風太郎の「人間臨終図鑑」を取り出してみた。「人間臨終図鑑」をめくるのは久方ぶりだ。上巻195頁の林芙美子をめくると1951年に亡くなっていて、主婦の友に連載中の「私の食べ歩き」の取材後に帰宅して、食べ物をすべて吐き出した後呼吸が止んだとのことである。今も営業している銀座の「いわしや」を取材後、何故か梯子して深川の「みやがわ」で鰻を食べたそうだ。作家として絶頂期の48才の時である。
林芙美子の次頁は寺山修司の項で、風太郎は週刊誌にでた寺山の絶筆を末尾に引用している。
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「私は肝硬変で死ぬだろう。そのことだけは、はっきりしている。だが、だからといって墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばであれば充分」と、あった。
寺山は「天才」にちがいなかったが、活動があまりに他方面に散乱していたために、死後すぐに、それらの影響力はたちまち消えるだろう、せめて残るのは、彼が十八のときに作った、『マッチ擦るつかのま 海に霧ふかし 見捨てるほどの祖国ありや』以下一連の「チェホフ祭」と題する短歌だけだろうと評された(ただこれも、他人の俳句を短歌にアレンジした剽窃歌集であるが)。はたして如何。
「人間は中途半端な死体として生まれてきて、一生かかって完全なる死体になるのだ」-寺山修司-
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22年前に出た良書である。
文庫版
book | 2008/09/18