中田英寿・引退特別番組
週の初めにたまたま中目黒Bird Song Cafeで山内テツの話がでた。
それ以前の記憶は定かでないので、はじめて意識した海外で活躍する日本人だったと思う。
Wikipediaを見ると、1972年Free、1973年Facesとある。FreeもFacesも好きなバンドだったこともあり、何か凄く盛り上がってた記憶があるなぁ〜「玉突き リチャード」(懐)それが中高の頃で、それから35年ぐらい経つ。その間も様々なジャンルの海外へ進出する数多くの日本人に注目してきたし、今でもサッカー選手が海外へ移籍するとつい見てしまう。たぶんずっと同じ気持ちが継続しているんだろう。
海外(本場)での大活躍で、ある意味溜飲を下げる(滅多に無いけど)といったこともあるが、それ以上に大きいのが出て行く人たちのキャラや大きな毀誉褒貶が創りだす物語の楽しみ(悲しみ)である。成功であれ失敗であろうともたくさんの物語が心に刻まれている。夢かなって世界GPにフルエントリーした初戦で、プラクティス中の接触事故で死んじゃったライダー石川岩男とか...さまざまな決して忘れることのない物語群である。
ところで、期間限定ではあるものの賞賛する気持ちに変わりが無いけど、残念なことに欧州サーカーバブル、日本代表バブルに完璧に同期してしまったのがヒデ。ヒデが移籍した当時セリエAはバブルの真っ最中。所属した4チーム(ボローニャ以外)はバブルにのまれて沈没。セリエAが急激に面白くなくなり、レベル低下した時期に重なってた。日本代表も上げ底状態だったし。そして、なぜかヒデは自らその渦中の主役のひとりになり、これからという時に身動きが取れなくなっちゃった。ローマ以降、バブルがはじけすべてが暗転、ヒデ自身のプレイも下降。運が悪いと言えばそれまでだが。ヒデ自身に物語がない悲劇に涙。