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スポニチアネックスの馳星周には大笑い

「わたしはいま、イタリアにいる」(^_^)
わたしはいま、品川にいるので笑わせていただいたお礼に、ちょっと朱入れしてあげましょう。

五輪に遣う金があるなら浦和へ行け
多くの人から、「いつからシドニーに行くんですか?」ときかれた。
そのたびに、傲慢に聞こえないように五輪にはそれほど興味がないんですと答えていた。
控えめな口調ではあったが掛け値なしの本音でもあった。勝ち進んでほしいとは思っていた。だが、「たかが」五輪に、自分の貴重な時間を使う気にはなれなかったのだ。
わたしはいま、浦和にいる。つい数日前に、J2ゲームを観戦した。浦和対仙台。小野は出場しなかった。それどころか、ベンチ入りすらしにていなかった。試合も、欠伸が出るほど退屈だった。
しかし、わたしの心は始終昂ぶっていた。五輪なんぞは足元にも及ばないほどの興奮に我を忘れていた。ほとんど超満員に近い駒場競技場浦和を応援するための歌、あまりにも不甲斐ない浦和に対するブーイング。
日本のサッカーのすべてが、駒場競技場にはあった。そこでは、クラブチームの勝利こそが至上の喜びなのだ。代表チームは代替え品にすぎない。ましてや、五輪など「クソ」みたいなものだ。
五輪が始まる前、メディアが、日本は本気だと書き立てた。だが、日本五輪代表はしょぼかった。オーヴァーエイジ枠を使いベスト8で負けても、浦和市内ではなんの議論も起こらない。
五輪は、子供たちの大会だからだ。アジアカップの決勝で負けることと、五輪で途中敗退することの意味は、はるかに違う。自分が応援するクラブチームの勝敗とは、ほとんど別次元の話題として語られる。
多くの日本人が、会社を休み、会社を辞め、オーストラリアに行ったらしい。その労力と時間と金を、J2のクラブシーンに使えばいいのにと、心の底から思う。小野がいなくても、福田福永がいなくても、試合内容がつまらなくても、J2はいつだってエキサイティングだ。これを見れば、五輪でメダルだ、セリエAだと騒ぐ連中の志の低さが如実に理解できる。わたしは小野が五輪に参加しなくて良かったと思っている。それがワールドカップでないかぎり、異邦人であろうが、優先すべきはクラブの戦いなのだ。
繰り返しいう。サッカー五輪代表のためにオーストラリアに赴いた日本人たちよ、その金を使って浦和のリーグ戦を見に行け。五輪は確かにスポーツ世界の最高峰の舞台だろうが、年齢制限のあるサッカーに関しては三流以下のイベントでしかない。そのことがよくわかるはずだ。
わたしのいい分に不満のある人間は、とにかく、浦和に行け。サッカーがなんであるのかがわかるはずだ。それに、だいぶ安く上がる。

soccer | 2000/10/07